東日本大震災から5年余り、東北各地では復興の歩みが粘り強く続けられています。
最大の被災者を出した宮城県石巻も同様に町ぐるみで頑張っていらっしゃいます。
石巻には北部に「桃生茶」というお茶があります。
最北のお茶産地の一つです。現在は佐々木さんという方が1.5haの茶畑を管理していらっしゃいます。
このお茶を使って、和紅茶を作り町の活性化をしようというプロジェクトが立ち上がりました。
ご縁があって私も少しお手伝いをさせて頂きました。今回丸子の村松さんと一緒に御伺いしました。
町には現在復興住宅があちこちに建てられています。
その1つ、駅前にあるアパートの1階を、商業スペースにして賑わいを取り戻そうと新しい施設が出来上がりました。
地元産品の物販スペースと住民が集えるカフェレストランです。
この日は関係者への和紅茶のお披露目と事業のプレゼンでした。
殊の外おいしく出来た桃生紅茶「KITAHA」の試作品を皆さんと一緒に味わいました。!(^^)!
皆さんとお話をしていて東北の方々の粘り強さと地元愛、情熱を強く感じました。
これからも応援してゆこうと思います。!(^^)!
翌日、茶園の見学に行きました。
思い掛けない広い茶畑、15反歩は驚きでした。
北上川を見下ろす山の上の茶畑はガラ間の土質も含め、緯度を除けばお茶には意外といいのかもと思いました。
伊達正宗公が茶作りを奨励したその名残が此処にもありました。
見て回ると畑毎に随分茶葉の勢いやら大きさ、艶が極端に違っています。
「この品種は何ですか?」何気なく尋ねると返ってきた答えが「ふじみどりだったかな?」
「えっ! 紅茶には良い品種ですね」
園主に促されて下を覗くと7㎝角の40㎝くらいの石柱に「富士緑」と彫ってあります。
「これは八重穂、これは朝露」と石柱を指し示してくれます。
お爺様が昭和30年代に50種類くらいの品種を1畝ごとに植えられたそうです。
いやはや、びっくりポン!!
相当の情熱家だったのでしょう。
他の石柱は見つかりませんでしたが、おそらくは地中に埋まっているはずです。
お宅を探せば、いろんな資料が出てくるかもしれません。
お茶が好景気を迎える昭和40年代の前の30年代、
それをいち早く察知してどの品種がこの地に合うのか茶園を開かれた先代の意気込みが伝わってきます。
日本茶業の発展のため全国を回られた多田元吉翁もこの地に来られたかもしれません。
今日また、元吉翁の遺徳を顕彰する村松さんが地域振興のお手伝いに赴いてくれたことは100年を経て繋がるロマンを感じます。
恐らくは全国各地にこのような意識の高い篤農家がいらして、様々な努力の積み重ねが今日の茶業を築いているのでしょう。
先人の労苦に敬意を表さずにはいられません。
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