「浅蒸し茶」という言葉があります。
「深蒸し茶」に対峙する茶として発想された言葉と思います。
本来茶の葉にあった蒸しがあって蒸気の熱が茶葉の中まで通ってしっかりと酵素死活できれば良いのです。
それさえできれば余分に長い時間かけて茶の品質を下げることはないのです。
戦後、牧之原方面で深蒸し茶の製造が試行錯誤され、あるお茶は高評価を得てそちらに舵を切るようになりました。
全国の品評会でもその扱いに苦慮した跡が窺われます。
当初、「フリースタイル茶」などと云われていました。
形状は悪いが味は良い。これをどのように評価するか。
品評会では、何度か点数配分の変更が行われ、形状の点数を減らし滋味と香気の点数を増やしたりしました。
それでも同一審査で優劣をつけるのは難しく、昭和54年の33回大会から普通煎茶と深蒸し煎茶を分けて審査するようになりました。
また、茶殻の上げ方を網さじからネットカップに変更するなどの工夫がされてきました。
現実には色は青いが味のない深蒸し茶が沢山出回っています。
色を青く保つために製造中の温度を低めにしたり、青い水色を出すためにことさら茶が砕けることをいとわなかったり。
「深蒸し茶という言葉は残ったが、深蒸し茶は無くなった」と嘆く古老の茶農家もいます。
さて、「浅蒸し茶」ですが従来は「普通煎茶」と言っていました。
深蒸し茶が新規の製造法に対し、「従来の」くらいの意味でしょう。
これが最近少しずつ市民権を得ています。
「役不足」と「力不足」を間違えて使い、最近では「役不足」を「力不足」の意味で使う例が多く意味が逆転しているのだとか。
言葉は生き物とは言え、何かこういう流れには逆らいたくなる私です。
今日の朝茶は「藁科」(1080円/100g)。
本山茶は普通煎茶が多いのですが、このお茶は少し蒸しの時間が長めのお茶です。
まろやかな味わいです。 ( ^^) _旦~~
今日も1日、元氣にお過ごしください! \(^o^)/
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